初顔合わせ

日本国憲法の生い立ちはややこしいです。

誤解を恐れず、ザックリ説明を試みます。

GHQ司令官であるマッカーサーは、
日本の占領統治をうまくこなして、
日本という国を自分にとって役立つものにしたかった。

そして、
戦勝国の多くが求める「天皇の戦争責任追求」を実行すると、
日本国内(特に上層部)で反発が起きて占領統治に手を焼く…

それは回避したかった。

だから、
戦勝国で決めて、日本につきつけたポツダム宣言を最大限利用した。

ポツダム宣言の内容あらましは、
「日本は降伏して、軍国主義をやめて、民主的な国家になること。
それができたら占領解除してあげる」というもの。

つまり、日本が民主的な方法で『民主的な憲法』を作れば占領ほぼ終了。

天皇責任について戦勝国で会議しようぜ!という予定があったので、
その会議が開かれる前に「占領終了」にしようとしたわけです。

だというのに日本政府側の作った憲法案は全然ダメ。
おい、急いでるんだよこっちは!もうこっちで作るわ!
はい!これ、お前が作ったことにしろ!な!はい!占領終了!

色々無理があるのは承知で、GHQは押し切った。
日本政府も、それに従って「自作発言」を行い、
きちんと手続を踏んで作ったと言うために「全面改正して作ったよ!」と。

しかし日本政府が「素晴らしい新憲法作ったよ!」と冊子を配布する一方で、
一部の人は「…あっ
(察し」だったわけですね。

………うまく説明できたか不安ですが、今回はこんな感じで。

20140921up