第44話 最敬礼

講義中や講義の後、候補生たちを広く見渡して、そこで目が合った女子候補生に視線を止める。
3秒くらい、じっと見つめてから視線を外す。
そして少し時間をあけて……頃合いを見て話しかける。

女の子には、期待と緊張を整える時間が必要だ。 

「君は攻撃官コース?」 
「そうよ、第4学年」
淡いブラウンの長い髪を少し揺らし、片手を腰に据えて柔らかに見返してくる。
こういった声かけに多少は慣れているんだろう。彼女の視線がさりげなさを装いながら自分の襟元に行くのを見る。襟元には学年やコースを識別する襟章を付いている筈だから。
「俺は特別コースだから、学年はないんだ」 
「特別コース?」 
「そう。“ 特殊前線指揮官 ”」 
ようやく言い慣れてきた自分の将来の職名を教える。 
「聞いたことないわ」 
一瞬訝しげな表情を見せたが、襟章をじっと見てそれを引っ込める。 
「だろうね。作戦指示の略記集あるだろ?あの黒い本。あれの職名一覧に載ってる」 
「そうなの」 
「それよりもし、君さえよければ今から少し……散歩でもしない?」 

君さえよければ、それ以上のことも。 

言外の希望は読みとってくれているだろうと目を見て思う。 
フってくれても全然構わない。 
彼女が断りやすいように、まだ距離は充分とってある。
一度誘って曖昧に断られても、その後何度か挨拶や、ちょっとした会話を重ねていくうちに、OKのサインを出す子もいるから。女の子は何かと準備に時間がかかる。

少し体を傾けて、ん~、と考えるポーズを見せてくる。顔は少し地味だけど、唇が色っぽいな。
「都合が悪いならまた今度でもいいよ」 
軽く退いてみせる。ひたすら押すより退く位の方が成功率が高い。経験的に。
「……指揮官なんでしょ?それも特別偉い指揮官」 
「……まぁ、そうらしいね」 
自分がえらくなるのかどうかはわからないけど。 
未だに第二防衛の上下関係の感覚には親しめない。制御官、指揮官、攻撃官のすべての役割を担って、全軍を指揮…命令するのなら、たぶん、偉いのだろう。 
曖昧な答を返してしまって、運を逃したかなと今回の成功を少し諦める。 
「それじゃあ、断れないかな」 
「ん?」 
「指揮官からのお誘いは、私たち、断れないの」 
少し挑発的に、何かを込めてこちらを見上げてくる笑顔に、多少の居心地の悪さを覚えながらも笑顔で返す。
「そう?じゃあ、いこうか」 
・ 
・ 
それなりに楽しんでから、喫茶室で話しているハインツとリガンドに合流した。 
いっつも思うけど、すごい目立ってる。
喫茶室の視線を一人占め…いや、二人だから二人占めか?どっちも顔がいいから。 
それに、随分仲が良くなった。 
最初はハインツがリガンドのこと、ほとんど無視してた。 
無視というか、こっそりがっつり観察してる癖に話しかけようとしなかった。リガンドはリガンドで、コースが違うし年上だからとかで気を使ってたし。
でも、そんなの今は関係ない感じになってるだろ。 
指揮官とか攻撃官とか、関係ない感じ。そう、そういうのがいい。 

そんなことを考えていたからか、リガンドが普段持っていない物を持っていたことに、部屋についてから気付いた。 

「サーベル?」 
「うん、練習用。今日から貸与されたんだ。……で、授業で最敬礼習った」 
「サイ…敬礼?」 
「クラインはそこで立ってて、やるから」 
リガンドが少し嬉しそうに帯剣ベルトに訓練用サーベルを装着する。 
そして、自分に向き直ってから、頭を軽く下げて半歩下がり、 片膝をついてベルトから外したサーベルを床に立て、サーベルの柄に右手を添えて額を預ける……流れるような動作だった。
第二防衛は動きが『洗練』されていて綺麗だ、セントラルで聞いた話を思い出す。

「これが最敬礼」 
顔を上げて、リガンドが綺麗に笑う。 
「へー、こう?」 
「足が逆だよ」 
今見た動作を真似てみるけど、早速失敗する。 
「んん~…こう?」 
「えっと……こう……」 
簡単に見えたのに、やってみるとギクシャクする。すぐに諦めて、体を添えて教えてくれようとするリガンドに絡みついた。
「無理、難しい」 
「えぇぇ…慣れると簡単だよ?」 
腕の中でリガンドがこちらを見上げてくる。至近距離だ、キスでもしようかなと思ったタイミングでハインツの声が飛んでくる。 
「クラインは誰にも頭を下げる必要はない」 
「へ?」
「あ、そっか」 
少し緩んだ腕から、リガンドがすり抜けるように離れる。逃げられた。 リガンドは部屋を見回して、貸与されたばかりのサーベルを立て掛けてから……サーベルを持ちっぱなしで何処かに置きたかったのだろう……振り返って言葉を続ける。
「クラインは特殊前線指揮官だもんね。ハインツも指揮官だから必要ないんだ」
抱きしめ足りないので腕を広げてジェスチャーでリガンドを呼び寄せる。リガンドが気付いて素直に戻ってくるのを捕まえてから、リガンドと一緒にハインツを見遣る。
2人分の視線を受けたハインツはいつも通り、椅子の背もたれにドッシリと身を預けて、まるでもう指揮官みたいな感じがする。
「一応、最敬礼の作法は習得した。イレギュラーだが、攻撃官が欠けたときに指揮官が攻撃官の任を担うこともあるからな」
「そんなのあるの?!」 
「ん~、ハインツが誰かに頭下げるのとか想像できないな」
リガンドの髪に顔を半分埋めながら唸る。
「そうか?頭を下げたところで形式的な礼法に過ぎない。その最敬礼の本義は誰かへの従属を示すものではなく、自身への誓約だとされている」 
「セイヤク?」 
「約束するとか、誓うことだよ」 
「へ~、第二防衛は上下関係にうるさくて指揮官は態度がでかいって聞いてたけど」
今日のナンパを思い出した。指揮官という単語を出した途端に、攻撃官コースである彼女の態度はハッキリと変化した。

「勘違いする馬鹿は多いが、軍における序列は飽く迄『役割分担』を合理的に行うためのものだ。だからこそ、最敬礼は自身への誓約であると定義されている」
話しながら、ハインツが机の上に置かれた一冊の定義集を手に取ってそれが書いてあるページを開いて見せてくる。なんでそんなにすぐそのページを開けられるんだよ。
「ふ~ん、じゃあ、俺も最敬礼するときは自分に対してセイヤク…約束すればいいのか。で、何を約束するの?」 
腕の中のリガンドを見下ろす。少しもがくようにしてリガンドが体の向きを変えて視線を合わせてくる。 
そういえば、リガンドの身長、少し伸びたな。 

「自分が持ってる戦闘技術に恥じない行動をすることを約束して、戦い終えた後は、それをきちんと実行したことを自分に報告するんだよ」 
「う~ん……がんばります、と、がんばりましたって感じでいい?」
「まぁ、そんな感じかな……ん」
さっき逃したキスをしておいた。身長差が少し減ったからやりやすくなった。 

「クラインが最敬礼することはない、特殊前線指揮官より上の官職はないからな」 
ハインツの追加が聞こえてくる。 

でもさっきのリガンドの最敬礼、かっこよかったから。 

何かの機会にやってみたい。 

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