第62話 天才

二日間の滞在の間、特に出撃もなく、特司の戦いを間近に見る機会もなく、ニールセン特司は一昨日駐屯地に訪れたときとは別人のような明るい表情で去って行った。 
恋人……なのかどうかはわからないが、小隊の新人に「また来る」と囁いて。 
特警をぶちのめして周囲を威圧して、その次は「特司付き」という権威をまとった新人は、無愛想ながらも先輩攻撃官に適度な気配りを発揮して、不思議と小隊に居場所を得ている。 
これなら大丈夫か、と指揮官会議にはロテアを同行させた。 
もうバディのロテアを四六時中つきっきりにさせずとも、あの新人は十分やっていけそうだ。 

自分の小隊には、指揮官付きが2人いる。 
フィリップとロテア。本来の指揮官補佐として……護衛と頭脳役だ。 
「……すまなかったな」 
指揮官会議に向かいながら、数歩後ろを歩くロテアへの後ろめたさを誤魔化す。 
「なんのことですか」 
気付いているだろうに。 
バディを失ったばかりのところに、新人をバディにしてお守を押しつけ、更にはその新しいバディを特司に宛がったわけだ……だが、これはすべて小隊の利益となる。 
そうだ、気付いているから、文句も言わずに淡々とお前はそこにいるんだろう。 
居心地の悪さに頭をかく。頭の良さで言えば、気を抜けばこちらが劣りかねない。 

集合場所に辿り着くと、一人の指揮官が……見慣れた顔が興奮気味に足早に近寄ってきた。
「ハリソン!」 
「どうした、とんでもない美形指揮官でも現れたか?」 
今日は、この辺一帯にいる指揮官と、新たに士官学校から卒業した新人指揮官たちとの顔合わせを目的とした指揮官会議だ。 
「あぁ、とんでもないぞ。お前も知ってるだろう、あのハインツ・テーザーだ!」 
……聞いたことがある、いや、聞いたことがあるなんてもんじゃない。 
「あのCSS5Bエリアの殲滅作戦案を寄越した奴か!」 

前線ではその対策に手を焼く『敵』が時折現れる。
退くことも進むこともできず膠着状態に陥った地区もある。 
そういった現場の「問題」を指揮官たちは長年、記録として士官学校に報告してきたが、あるときから「解」が時折、担当指揮官に通知されるようになった。 

ハインツ・テーザー 

その名は、通知末尾に示された作戦発案者のものだ、間違いない。 
あのときのあの通知が、あと一週間でも遅れていたら、自分の小隊は退くこともできず、消耗戦の果ての全滅を免れなかっただろう。 
「そうか……!今期卒業だったんだな!」 
実に頼もしい、指揮官第1種か第2種か、それとも、と同輩に尋ねようとして、はたと思い当たる。 
……ハインツ? 
リガンドとニールセンの会話にもその名前は登場していた…… 

多くの指揮官に囲まれて、彼は存在した。 
落ち着き払った態度に、誰が彼を新人だと思うだろうか。 
誰もが新人の彼より先に挨拶して名を名乗り、最早この場の誰もが彼を知っていて、彼は自身を紹介する必要などなかった。 
「ハリソン・タリスです。CSS5Bエリアの件では非常にお世話になりました」 
順番を待って、自己紹介と共に礼を言いながら手を差し出す。 
士官学校始まって以来の最高の天才と、真っすぐに目が合う。 
実に堂々とした態度だ。
自分が士官学校を卒業したての頃は、年上の攻撃官に舐められぬように、尚且つ他の指揮官とは年功序列を守って関係を良好に保つようにと必死だったことを思い出す。 
「作戦の案を出すことより、実際に兵を動かす方が困難を伴う。指揮と小隊の連携が確実だったこと、そして不測の事態が予測の範囲内だったからこその幸運です」 
一応、新人として先輩に敬意を表してくれているのだろう、一体何人目となるのかわからない握手を彼は卒なくこなしてくれた。 
できることなら、彼の智略を得やすい関係を、友好的な関係をもっておきたい。この場にいる者は皆おそらく同じ考えを持っているだろう、だから誰もが彼に愛想よく挨拶し、話しかけようとする。
何か、話題はないものか。他の者が割入ってくる前にと、慌てて頭をフル回転させる。まったく、前もって知っていれば個人資料を取り寄せて、策を練ることもできたというのに。

「タリス指揮官には、私の友人が世話になっているようで」 
こちらの焦りを知ってか知らずか、涼しい表情で期待の大型新人から言葉が繋げられる。
「……?」 

・ 

・ 

「……?司令、どうかしましたか?」 
「“天災”だ……」 
「は?」 
会議室を出て、ロテアと合流する。足早に歩き、その場を少し離れてからぼやきを始める。 
「ハインツ・テーザー!士官学校始まって以来の最高の天才だ!そして本日の“天災”!」 
「あぁ、あの天才、ですか」

むやみに敵を作らない、士官学校時代からハリソンはそう誓ってきた。 
窮地を救ってくれるような親友とまではいかなくとも、多少の融通が効く交友関係は大事だ。 
急いで隊に戻り、新人を指揮官室へと呼び出す。 

「……ハインツ・テーザーは士官学校での友人です」 
ハインツ・テーザーを知っているか? 
ただそれだけの問いかけに、新人は少し戸惑った表情を見せてからそう答えた。 
「………」 
黙ったまま、できるだけゆっくりと腕を卓上に載せ、指を組む。 
「…事実と異なる噂はありましたが、彼は友人です」 
新人がこちらの疑いを正しく読み取って、はっきりとした口調でそれを否定する。 
「……今日、指揮官会議で『彼』に会ってね。自分の親しい友人が世話になっている、今後とも失礼無いようにと強く牽制されたんだ……、心当たりは?」 
情けのない話だ。新人指揮官に牽制されて逃げ帰ってきましたと愚痴をこぼし、お前は何か知っているのか?と部下に、しかも新人に尋ねている。 
新人が、少し目を丸くして、きょとんとした表情になる。 
「あ、……それは、」 
口ごもるのを見て、少し腹に力をためる。と、新人が、軽く首を横に振った。 
「『声』を使わなくても話します。…それは恐らく、私に関することではなくて、トラスト・クライン・ニールセン特司に対してのことです。ハインツは、クラインのことを高く評価しているので」 

当たり、だ。 思わず、新人の前でがっくりとうなだれる。 
先日の、弱り目祟り目のニールセンにここぞとばかりに交換条件を持ちかけた。本来であれば一方的に命令を受ける側の自分から。 
そしてそれが、あの天才に知れて、お怒りを買った……ニールセンは天才のお気に入りだったわけだ。 

「なるほどわかった」 
うなだれたまま下がっていい、と片手を軽く振る。応じてリガンドが一礼し、ドアを開ける。
「ところでリガンド、さっき何故、私が『声』を使おうとしたことがわかったんだ?」 
「……何度か、使われたことがあるので」 
「なるほど…ね…」 
再び手を軽く上げ、椅子をくるりと回してリガンドに背を向ける。 
静かにドアが閉められる音を聞き届けてから、ハリソンは脱力し、椅子の背からずるりと落ちた。 

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