第44.5 誘い

「今日は耐久訓練だから」 

リガンドが今朝、そう言って授業に出かけて行った。 
初回は24時間ぶっ通しの訓練で、訓練終了後……つまり明日の昼過ぎに体調のチェックを受けた後、翌朝まで休憩をとるから、次に会えるのは明後日の通常課業後の夕方になる、と。 

「………」 
なんとなく、隣の椅子を見る。 
いつもならこの時間帯は、隣にリガンドも並んで課題をこなしている。 
例の被害を避けるためにリガンドが自分の部屋に寝泊まりするようになって1年弱。ほんとは、あの三人は選別試験で不合格になった段階で、リガンドが自分の部屋に泊まる理由はほとんどなくなっていた。「指揮官付き」の噂の効果もあったし。
「でも、俺の部屋に泊まった方が自主練的にも都合いいよね?」 
何かの拍子にリガンドがそのことに気付いたとき、この一言で「延長」を決めた。 
勿論、1人で寝るのが落ちつかないというのもある。 
寝れるけどさ。子供じゃないんだし。 
いいや、子供じゃないからこそ、こう、相手が欲しいってのもあるよな。 

ハインツがこちらを見るのに気付いて、再び問題集に視線を戻す。 
攻撃官コースの授業参加でナンパをするようになっても、それはそれ、これはこれ。流石に教師棟にあるこの部屋に、しかも夜間に女の子連れ込めないし。 
リガンドが特に嫌がることもないから、ほぼ毎晩か。 
一日がんばったご褒美として。 
だって、それくらいしないと。退屈だろ、この学校。 

目の前の単語がわからず、気乗りはしないが定義集に手を伸ばし、ページをめくる。しばらくこちらの動静を伺っていたハインツの視線が、再び元の場所へと戻る。
そのうち、今日の分の課題を終えて、ハインツが寮棟に戻るのを着替えながら見送り、静かに閉まったドアの音を聞いてからベッドに転がった。 

……静かだ。 

リガンドを拾う前って、こんな感じだったっけ。 
「………23時半か」 
まだ寝るには早い。4~5時間も寝れば十分だし、そうだ、リガンド拾う前とかって、課題はこの時間に終わってなかったんだ……ハインツが1時くらいに部屋に戻って、確か、2時半くらいまでやってた… 
「………うっわ、暇…」 

・ 

・ 

今夜もリガンドはいなくて、今夜も課題は順調に終わりつつある。 
それはいい。勉強はさっさと終わらせたいから。 
止まったペン先に、ハインツが視線を向けてくるのを感じる。 
ハインツはすぐには声をかけてこない。多分、俺が答を考えているのか、わかってないのか、あるいはサボっているのかを見定めているんだろう。 
最初に勉強を教えると言われたとき、口やかましく指導されるのかと思っていたが、全然そうじゃなかった。 
俺が答を書き間違えたり、消したりするのをしばらく黙って見てから、うまく声をかけてきた。 
指揮官学に、部下の管理とかもあるけど、きっとそういうのなんだろう。 
なんだかんだ、全部ハインツの思惑通りに進んでいるような気もする。 

「……できた」 
今日の分の問題を解き終えて、ハインツに手渡しながら椅子の背にずるずると体重を預ける。受取って解答具合をチェックするハインツを横目に見た。 

ほんと、モテそうな顔してるよ、好みじゃないけど。 
俺の好みは、こう、かわいい感じの綺麗なのだからなぁ…… 

一通りチェックしてから軽く頷いてハインツが課題を返してくる。 
問題ない、これで本日の勉強は終了だ。溜息をついて机に突っ伏す。 

「クライン、」 
カタ、と何かが机の上に置かれた震動が伝わる。 
「こういうのはセントラルにはあったか?」 
頭だけ動かしてそれを見て、起き上がった。 
「酒じゃん、どうしたの?」 
飲んだことは?と聞かれて、ない、と答える。 
セントラルで卒業間近の上級生が教官から振舞われているのを見たことがある。出陣祝いとして。酒くらい覚えておかなければ戦場ではやっていけないと。 
あとは、多少素行の悪い訓練兵が陰で飲んでいるのも見た。 

「エリート校でもあるのか、こういうの」 
瓶を手にとってラベルの文字を読んでみる。うん、全然分かんないな!なんだこれ。 
「エリートにも色々あるからな」 
ハインツが奥の棚からグラスを取り出してくる。その棚にそんなのが入ってたのか。まぁ、教師棟の空き部屋だし、そういうのがあってもおかしくはない。 
けど、なんでハインツが知ってるんだよ。 

「リガンドがいなくて暇だろ?」 
「……まぁね」 
グラスを軽くぶつけあう。なるほど、そういうことね。 
俺に気があるなら、久々に夜に二人きりだった昨晩、声かければいいのに。 
こいつ、わざと一晩空けたな…… 
そうそう計画通りには進ませないぞ……反撃を考えよう、そうだ。 

「……する?」 
ハインツの動きが止まった。 
先手必勝。考えるよりも速い攻撃で度肝を抜く。それが俺達……特警、第一防衛のやり方だ。敵の情報を分析して、じっくりと計画を練る第二防衛とは違う。 
「……ッ、クラインが、構わないのなら」 
珍しくしどろもどろだ、やった、完全にハインツの虚を突いた。 
かわいげはあるんだよな、たまに。 
こっちから抱いてやったらどんなものか、試すのも悪くない気はするけど…… 
「ん~、まぁ、ほら、勉強も教えてもらってるし」 
「そういうつもりでは…」 
「そういうのいいから。下心ない方が変だろ」 
グラスを片手に、軽くもたれかかってみる。酒の勢いというのを借りて、やってみてもいいかもしれない。昨晩みたいな暇よりずっといい。 
「……わかった。後悔はさせないから」 
「へ?」 
ハインツが途端に落ち着き払ってこちらのグラスを取り上げて、サイドテーブルに置く。さっきまでの、しどろもどろは何処行った? 

ごく自然な流れで、近づいて抱き寄せようとしてくるのに、あっさり優位性が奪われたことに気付いて慌てているうちに、うまくソファーに押し倒される。 

「ちょっとタンマ!ハインツ、もしかして経験あるワケ?!」 
完全に抜かった、なんか勉強ばっかりやってて、経験ないからなかなか誘って来れないんだろうとか勝手に思い込んでた。 

「……経験もないのに自信があるのはおかしいだろ」 

その顔で言われると、説得力しかない。経験ありそう、相手に困らなさそう。 
そういえばリガンドに聞かれた時、ほどほどに対応してるとか言ってた、こいつ。くそっ 
「やっぱナシ!さっきのナシ!するって言ったのはナシ!!!」 
「……わかった」 
あっさりとこちらを解放する。ここまできて紳士的だな、俺なら食い下がるぞ。 
こちらが起き上がるのを見て、さっき取り上げたグラスを返してくる。 
「酔わせてヤるっていうのもナシ…」 
「しない」 
「………」 
「待つよ」 

※この後のおまけはキスシーンだけあります

第44.5話おまけ 

待つってどういうことだよ。心の準備をどうぞ整えてってことか? 
なんとなく癪に障って、この前はあのまま酒飲んで、ただ喋るだけで過ごしたけど。 
とはいえ、どうせそのうちやるなら、さっさとやっておいた方がいい気もする。リガンドに言ったのと同じだ。先送りにしたところで、こうやって妙に気にするだけ損。多分。 

今日もまた、リガンドが耐久訓練の日で。しかも今回は4日間。 
「……どうかしたか?」 
涼しい顔で聞いてくるなよ、なんでそんなに余裕たっぷりなんだ。 
「……後悔させないって言ったよな?」 
「…言った」 
瓶を掴んで、空になったグラスに追加を注ぐ。 
「自信がつくほど経験したってこと?」 
「ある程度は」 
「………」 
リガンドと初めてやったときのことを思い出す。後から気付いたんだよな、うまくやれたつもりだったけど、あれは多分、リガンドの方が慣れてて俺がリードされてた。
だけど、今は違う。3日に1度はナンパ成功してるし、経験値は相当上がった(と思う)。 

勢いよくグラスを空にして、テーブルに置く。その自信のほど、見極めてやる。 
「よし、来い!」 
「……こんな風に始まるとは、流石に想定外だったが」 
ハインツが苦笑するのを見て軽く睨む。
「多少自棄にならないと、ちょっと無理!ハインツは俺の好みじゃないから!」 
余裕なのか、余裕の演出なのか、口元で少し笑ってからハインツがグラスを置き、こちらに腕を伸ばす。そこだよ、そういうところだよ、俺の好みじゃないところは! 
「………ッ、」 
唇を重ねるところから始まって、セントラルで卒業間近の先輩に抱かれたときのことを思い出す。正直、あんまり良くはなかった。もう卒業するから、戦地でまた会えるかどうかはわからないからって言われて、半分は仕方なく、半分は好奇心で。 

……また会えるかどうかはわからない。 

本当にそうだ。特警の戦死率は高い。士官学校に編入になった俺より先に戦地に出たあいつらは今どうしてる? 
会えるのなら……そうだな、もし生きてるなら、キールとリガンドは一度並べてみたいよな。 

「……ん、ッ」 

……キスが長いし、うまい。なんだこいつ。本当に。 

やめよう、ちょっと考えるのは。 

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