第49話 表情

「すまなかったな」 
こちらの手首を一瞥して、短く呟くようにハインツが話す。 
「いいよ、全然たいしたことないし。……このテーピング、外していい?」 
「ダメ」 
着替えを終えたクラインが隣に座りながら、手首を抑えてくる。 
「……一応、明日まで付けていろ」 
それを見て、諦めたような声音でハインツが念押ししてきたので、諦める。 
少し手首を曲げると僅かに痛む程度で、テーピングするほどじゃないと思うんだけど。 

部屋の片付けを終えて、急ピッチで課題を終えて、そうして夜間の余った時間をいつものようにゴロゴロ過ごす。 

「その約束に、俺も加えて欲しい」 
今日の衝突の詳細をクラインがハインツに説明した後で、ハインツが切り出した。 
「……感染したら止めてってこと?」 
「そうだ、感染の異常を自覚した段階で敵が増殖する前に自決するべきではあるが…それが叶わないこともあるからな」 
「あ~、セントラルで習ったな、感染したらさっさと自決しろって」 
指で銃を真似てクラインがパン!と自分の右側頭部を指しながら発砲音を真似る。 
「そこ?」 
クラインが指さした銃口の位置が気になって真似てみる。反動で銃口がずれそうな位置だ。 
「うん、ここ。で、自決できないってどういうこと?」 
「……敵性生物が体内に侵入したことで自決が不能になる原因を答えよ」 
突然、試験官1名と受験生2名の構図になって、思わずクラインと顔を見合わせる。 
クラインがこちらに軽く上体を傾け、お先に、と促してきたので答を考える。 
「えっと……敵性生物が体内に侵入して増殖するから…内臓の損傷等による苦痛で動けなくなる……とか?」 
「苦痛だけじゃない、麻痺、幻覚等の症状もあると報告されている。すぐに宿主を殺すタイプもいれば、潜伏期間が長いタイプもいるからな」 
「へ~」 
間延びした声を上げながら、クラインがゆっくりクッションに埋もれていく。 
「では、訓練された士官が幻覚等で混乱した場合、誰がそれを止める?」 
埋もれたクラインともう一度、顔を見合わせ、次はどうぞと促し返す。 
「まぁ、そいつを倒せる実力がある奴だな。俺ならハインツ止められるだろうけど…」 
話しながらクラインがこちらを見る。 
続いてハインツもこちらを見て、顎を軽く上げ、発言を促してくる。 
「え……っと、指揮官が異常をきたした場合、まず最初に失われるのは『声』の能力……」 
「へ?何それ?」 
「そうだ、だからいざとなればリガンドにも俺を討てる」 
試験は終了した。 
先日、ハインツが覚えておけと言ったこと、覚えていてよかった…と内心安堵する。

攻撃官が指揮官を討つ事態なんて、想像もつかないけれど。 
でも、世界が終わりに向かっているのなら、軍が崩壊していくのなら、起こり得るのかもしれない……そういう「覚悟」も必要なのかもしれない。 

「ねぇ、そんな先の、起きるかどうか分かんない話するの、やめない?」 
クラインがベッドの上で転がってぶつかってきて、考え始めた重い未来が中断する。 
「確かに、確率の低い話だ。3人のうちの誰かが、異常をきたして暴走するときに、偶然居合わせるなんてな……。もうひとつ、確率の高い話を約束に追加したら、この話は終わりにする」 
「確率の高い話?」 
「え~……」 
クラインが聞きたくないを体現するように、クッションにうつ伏せになって顔を埋めてしまったが、ハインツは…ベッドの上だけど…居住まいを正す。 

「この3人のうち、誰が先に死んでも、誰が最後に残っても……最期まで最善を尽くすことを約束しておきたい」 

言葉のままを受け取った。頭の中で、今聞いた言葉をゆっくり聞き直す。 

“ 誰が先に死んでも、誰が最後に残っても、” 

3人のうち誰かが暴走した状況に居合わせる……より、本当にずっと確率の高い話だ。3人が同時に戦死でもしない限り。 

「……そんなの、約束しなくても、……動揺するなってことだろ?」 
少し不機嫌そうな声が、クッションに埋もれてくぐもって聞こえてくる。 
クラインは、クッションに顔を埋めていたから見えなかった。 

約束しておきたい、と言った時のハインツの表情が。 

伝わるかどうかはわからないけど、クラインの背を左手で撫でてから、右手をハインツに差し伸べる。 

「俺も、約束するよ」 

ハインツがこちらの手を握り返しながら、ふてくされたクラインの背を心配そうに見る。クラインの背に置いた手で、軽く叩いて促した。 

のっそりと起き上がるクラインを二人で待つ。 

“ 覚悟じゃなくて、約束にしよう ” 

>>第50話へ

各話一覧へ戻る