第69話 戯れ

ひとしきり呻き終え、ハリソンは気を取り直して指揮官室を出た。

小隊を良い状態に保つためには、部下にとって指揮官が指揮官室にこもっていて何をしているか分からない時間と、小隊を直接見て回る時間とが必要……というのがハリソンの持論だ。

近づき過ぎれば下官に舐められかねない、だが、上下関係が厳格すぎれば円滑な情報伝達に支障が出る。

自分に気づき、緩やかではあるが敬礼するフィリップに、ごく軽く頷く。
指揮官は攻撃官に返礼をしない。
指揮官の手の動きは、各種のハンドサインであり、攻撃官はそれに敏感に従うからだ。

だから、多くの指揮官は外套のポケットに手を突っ込んだままか、背の後ろで組んでいたりするのが「よくあるポーズ」となる。
手を見せないのが基本、話すときに机上で指を組もうものなら、攻撃官は注意深くそれを見る。

「変わりはないか?」
「ニールセン特司がお見えになっています」
「……ニールセン特司を指揮官室へお連れするように」
言うが早いか、ハリソンは今出たばかりの指揮官室へと踵を返す。
背中に向かってフィリップの短い応答が届いた。

フィリップは自分がこれから指揮官室に戻って特司を迎えるとを理解しているから、そんなに急いで特司を呼びには行かないだろう。
普通に歩いて特司に声掛けし、そして案内する。

それならばそんなにこちらは急いで戻る必要はない……が、思わず早足になり、作戦を練る。

これは情報を得るチャンスだ。

ニールセンはいつものように、リガンドに逢いに来たのだろう。だが生憎、リガンドは先ほどバディのロテアと斥候任務に出したばかりだ。尤も、明日の早朝には戻る。それを聞いたであろうニールセンは……それまで防衛線で何事もなければ……小隊で恋人の帰りを待つだろう。

いくら親しくとも、特司が攻撃官にすべてを話すとは思えない。
指揮官は本来、攻撃官に必要以上の情報を話さないものだ。何よりリガンドは言っていた、「話したがらない」と。

……となれば、士官学校からの増員減少に関する何らかの情報をニールセンはもっている筈だ。

ハリソンは部屋に戻り、せわしなくグルグルと室内を歩き回ってから立ち止まり、棚から瓶とグラスを取り出し、考え直してすぐにまた戻した。
準備万端で出迎えるのも警戒されるかもしれない。

それから程なくしてドアがノックされた。
お連れしました、という声に、椅子に腰かけてからどうぞと答える。

特に警戒する様子もなく、自然体といった感じでニールセンが入室してきた。
「やぁ、ニールセン。調子はどうだ?」
こちらも自然体を装い、声をかける。
「悪くないよ、もうこれにも随分慣れたからね」
ニールセンは軽く首を傾けてその頭部の紋章を示す。
「それはよかった」

この会話を、あの天才……ハインツ・テーザーに聞かれたらと一瞬考えて背筋が冷える。
本来であれば、特殊前線指揮官であるトラスト・クライン・ニールセンの方が自分よりも上官だ。
席を立って出迎え、敬語で話すべきところを、敢えて広義の「指揮官」という分類に収めて、先輩面してフランクに話す。
調査によれば、ニールセンは上下関係という規律をあまり望まず、誰に対してもフランクに話す……幸いにも彼の階級は最上級だから、彼がそうするのは何ら問題はない。
そんな彼に対して、他の者がフランクに話しかけるのはどうか?
彼が許容するならば、少なくともその場においては問題ない……
だが、あの天才の機嫌を損ねるのは確実だろう。
なんたってニールセンは彼の「お気に入り」なのだから。
……おそらく、そういう関係なのだろう。

「すまないな、リガンドはちょうど先ほど斥候任務に出したところで」
「らしいね」
ため息のまじる苦笑を漏らし、ニールセンが深くソファーにもたれ直す。
少しだけ間をおいて席を立ち、棚へと向かい、瓶を取り出す。

「これはイケる方かな?」
聞かなくても調査報告で知っているが。
「いいね」
「代わりと言ってはなんだが、今夜は私が付き合いますよ。……指揮官同士というのも気楽でいいでしょう」

指揮官同士、という部分の語調を敢えて僅かに強めた。
一瞬、ニールセンの目が反応したように思える。

そう、指揮官同士でしかできない会話をしようじゃないか。

攻撃官には話せない、この、戦況が悪化し続ける現状について。

もしこれから最悪の状況が口を開けて待っているとして、少しでもマシな選択をしていくために。

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