第71話 首席

「あぁ、もうそんな時期だっけ?」

腕だけ目一杯伸ばして机上に追加された瓶を取った。
瓶を置いた主のことは見ないままで。
最終的にやることはやるにしても、相手の思い通りになってるのがなんとなく癪に障る……だから少しだけ先送りにしてやる。
瓶からグラスに液体を注いで、もう一度腕を伸ばして瓶を元の場所に戻す。

「そうだ」

瓶の次は書類が置かれた。それなりの厚みがある音だ。

ハインツはいつもそうだ。
自分から近づいてくるわけでもなくて、呼びよせるわけでもなくて。
こうやって何かでこちらをおびき寄せようとする。
そして、それに毎度つられる自分に悔しくなる。
「なに、それ」
振り返らないまま、グラスを傾けながら聞くだけにした。
「今期卒業の履歴書だ」
興味が少し勝って、腰かけた机の端から頭だけ振り返って書類の束を見る。
「あ!」
思わず身を乗り出す。
「顔写真あるじゃん!」
グラスを持ったまま、机の上に寝転がって履歴書の束を手に取る。
「おぉっ…これはなかなか……あ、これ成績順?じゃあこの1枚目の黒髪の美形ちゃん……美形君が今期の首席?」
「あぁ……『最期の首席』だ」
わずかにハインツの声が落ちた。
「もう、もたない感じ?」
履歴書をめくりながら、深く考えずに問いを投げる。

まんまとエサにつられて距離は随分と近くなった。
もう、手の届く距離だ。
でもハインツは触れてこない。
ギ…ッと椅子の背に深くもたれかかる音がした。
そこから数秒の間をおいて、おそらく、とハインツが答える。

自分としては、別に学長がどうなろうと知ったことではない。
特にいい思い出もないし、むしろ苛立った記憶ばかりと結びついているし。

でも、ハインツにとってはそうではないのだろう。

「……そっかぁ…」

なんとなく、可哀そうに思えてきてこちらから腕を伸ばす。
額にかかった髪を指で上げると、少し疲れたような目をこちらに向けてきた。
ぼんやりと、さっき見た『最期の首席』の顔写真を思い出す。

ハインツと同じ髪の色と目の色だったな。

自分たちは士官学校を卒業してまだ1年目だが、既に軍の疲弊と崩壊の気配は存分に味わった。
わざわざ情報を集めて回る必要もなく、耳に入ってくる情報だけで、第二防衛の人員不足は思い知らされた。
第二防衛の指揮官が率いる小隊は慢性的に攻撃官不足で、攻撃官が死亡してもその欠員を十分に補填することができていない……
士官学校卒業生数が何年も前から減り続けているのは、在学中にハインツから聞いていた。
士官学校の機能……適性をもつ候補生だけを選出し、育てあげて第二防衛に配属する……これはすべて「学長」の能力にかかっている。

あそこにいた教師たちはすべて、個体であり、共同体でもあり、学長から派生したような存在……学長の衰弱は教師たちの衰弱にもつながる。

クラインが編入した頃、既に学長は衰弱し始めていて、学長が眠る……というよりは仮死に近い状態となる夜間は、教師たちの多くはその存在が曖昧になっていた。

だから、あの教師棟で一人で眠るのは気持ちが落ち着かなかった……

決して死を恐れているのではなく、
自分が自分以外のすべてを殺したような感覚に陥るのが怖かった。
自分の力を制御できる存在が欲しかった。

「……クライン?」
「なんでもないっ!」

あのときの感覚が蘇り、クラインは振り払うように「生きている誰か」の温もりへと自分を逃げ込ませた。

 

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