クラインが訓練から戻ってくるまでの時間、リガンドはクラインの部屋で座学の課題をこなしていた。
傍らの席に座るハインツは書類を読みながら考え事をしている様子だったので、特に話しかけることもなく、いつも通り黙々と。
ふと、ハインツが椅子を少し動かすのに気付いて顔を上げると、その依頼は始まった。
「頼みたいことがある」
「何?」
ペンを止めて応える。以前、『指揮官の声』の実験に協力したことを思い出した。
今度は何だろう?その程度に、気安く。
「……クラインのことだ」
少し慎重な声色に、目の奥まで見抜くような視線を受け取った。数秒ほど間を空けて、ハインツが席から立ち上がる。その際に、手元にあったファイルから数枚の書類を抜き出し、リガンドの目の前に置いた。
The Stress Tolerance Test
そう題された書類には、無機質に印字された数値や表に加えて、ハインツの手書きの文字が余白に書き込まれていた。
テスト対象者の氏名欄には、Trust Klein Nielsen
そして書類の上部には真っ赤なスタンプで Confidentialと押してある。……つまり、クラインのストレス耐性テストの結果であり、機密文書だ。
こんなものを自分が見てもいいのか、
でも、見てはいけない書類を自分の目の前にハインツが置くわけがない。
様子を伺いながら、手にとって、急いで目を通す。
数値や専門用語を見ても、いまいちよくわからなかったが、手書きの文字でおおよその内容は読み取れた。
一通り目を通し終えると、いつの間にか自分の横に来ていたハインツが静かに書類を回収して再びファイルにしまった。
「リガンドには、クラインを精神面でも支えてもらいたい」
「……」
予想もしなかった依頼に、どう答えていいのかわからず、ハインツを見上げる。見上げながら、リガンドには思い当たることがあった。
時折、クラインが見せる、苛立ちのような、なにかを押し殺したような表情。自分よりずっと強い筈のクラインが、一瞬だけ、ブレて見える。
「クラインが、プレッシャーに潰されてしまわないように」
「……プレッシャー?」
何に対するプレッシャーなのか尋ねたかったが、ハインツの表情を見て止める。
見定められているような気がした。
「何か特別な事をしてくれと言っているんじゃない。……どんな状況であってもクラインのバディでいてくれれば、それでいい」
“どんな状況であっても”
その言葉に重さを感じた。
これに頷くかどうかを、自分は今問われているんだろう。
たとえ、事情の詳細を伏せられたままであっても頷けるか。
今、自分と対等につきあってくれているハインツやクラインは、将来的には上官となる。部下である自分に話せないことも多く抱え持つだろう。
「………俺に、できることなら何でもやるよ」
椅子から立ち上がり、視線の高さを近づける。それでも身長差で、リガンドはハインツを少し見上げることになるのだけど。ちょうどいい。
自分にできることは2人より少ないから。
ハインツの少し深刻に見える表情を和らげるように、リガンドは微笑んだ。