第32話 判断 

クラインが自分の部屋に戻ると、いつも通り、リガンドがおとなしく座って課題をしていて、ハインツは少しふんぞり返るような姿勢で脚を組み、ぶ厚い紙束をめくっていた。 
「おかえり、クライン」 
屈託ない笑顔でリガンドが声をかけてくる。こちらは変わりなし、に見える。 
でもハインツは? 
一瞬だけ、自分の顔を見たときに、何とも言えない目をした。 
紙束が顔を隠していて、目しか見えなかったけど。 


リガンドが手元の問題集に視線を戻したのを確認して、クラインは目でハインツに問う。 

“ もしかして、もう、何か話した? ” 

そういう意図を込めて。とはいえ、傍目から見れば、単なる一瞬のジト目に過ぎなかったが。 
ハインツはそれに対してごく僅かに、注意して見ていなければ逃すほどの幅で首を横に振る。 
まぁ、確かに、リガンドも変わった様子はないみたいだし…とクラインはあっさりと嫌疑を解いた。 
続いてハインツが送ってきた視線に、クラインは首を振る。横に。 

“ まだ話さない ” 

何も話さずに一緒に過ごすという選択肢だってあるんだ。 
ハインツの提案のとおり、情報を共有した方が、少しは気が楽になるだろうとは思う。自分は。 
でも、巻き込まれるリガンドは?

「知らない方がいいことかどうか、僕は知ってから判断します」 

先日の候補生の言葉が蘇る。 
知ってしまったら、知らなかった頃に戻れないんだ。クラインは席につき、ハインツが並べてあった課題をやる気なく手に取る。 
なのに、あの候補生は「知ること」を選択した。 
知って、そして判断した。 

赤黒く煙る靄の中で積み重なっていく死体、それらはすべて「候補生だったもの」。 
いっそう青白くなった表情に、泣いたりするかと思ったが、その候補生は数回瞬きをしただけで、静かにその光景を見下ろしていた。 
抑え込まれた発砲音が聞こえる度、靄の赤が増すような気がした。 
「あぁやって、不合格者を世界から消していく。その理由は……試験を繰り返していくうちにわかるようになる」 
説明しながら、横目に候補生を見る。まだ第1,2学年ほどだろう。 
「判断できたか?」 
「……はい」 
落ちついた、意志のこもった声だった。

貯水タンクから降りて、最初に会った噴水の場所まで戻った。候補生はまだずっと先の寮棟に戻るだろうが、自分の部屋はこの教師棟にある。クラインが足を止めると、その候補生は「ここで別れる」と察したのか、立ち止まって正面に向き直り、丁寧に頭を下げた。 

「ありがとうございました」 
「ん」 
軽く頷いてから、教師棟の脇の扉に手をかける。背に、まだ候補生の視線を感じたが振り返らずに屋内へと入り、別れた。 
名前を聞かれなかった、こちらも名乗らなかった。 
あれを見せて良かったのかどうか、あの候補生にどんな影響を与えてしまったのか…… 
自分はリガンドに話すのか、話さないのか。 
結局、自分だけが判断できないまま。 

「………」 
頬杖をついて、隣で課題に取り組んでいるリガンドの横顔を眺める。 
「顔が好き」と言ったからか、顔を眺められることにリガンドは随分と寛容になった。 
と、いうよりは、クラインがリガンドの顔を眺める、リガンドが気付いて「何か用?」と聞く、その都度、クラインが「顔を見ていただけ」と答える。 
そんなやりとりを十数回も経験すれば、リガンドもいちいち尋ねて来なくなったというわけだ。 

「あー……」 
呻きながら頬杖を倒して机に頭を預ける。 
課題をやりたくなくて呻いているとでも思ったのだろう、リガンドの表情に少しの同情が浮かんだのが見えた。 

つまり、ハインツが言ってるのは、こういうことだろ? 
「世界の終焉」に関しては、俺の負担を軽くするためにバディと情報共有しろ、 
「裏門」に関しては、リガンドにあの3人が「もう存在しない」ことを教えてあげるのにセットになる…… 

「うーー…」 
呻いているだけでは何も進まない……課題さえも……それをわかっていながら、クラインは再び呻いた。 

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