第33話 trust you.

教室を出ようとしたリガンドの背が呼び止められた。 
「…あ、リガンド!今日これから……」 
リガンドに駆け寄ったクラスメイトは、ドアの外にいる2人に気付いて慌てて姿勢を正し、敬礼をする。

 
1人は柔和な笑顔で、もう1人は我関せずといった風情で目を逸らし、それらを見たリガンドは軽く頷いてからクラスメイトに向き直る。 
「なに?」 
「…あー、えっと、これから4年の先輩たちを見送りに行くんだけど、リガンドは……どうする?」 
「……あ」 

今日は年度最終日であり、最終学年にとっては卒業の日。 
在学生は卒業式に参加せず、午前は教室での自習、午後は自由時間で、クラインが昼にハインツ共々リガンドを呼びに来た。そういうタイミングだった。
「……挨拶しておいた方が、同じ小隊に配属された時とか印象がいいって聞いたからさ」
「そう…だね、」 
少しぎこちなくリガンドが振り返り、すぐ傍で待つ二人を見上げ、それにクラインが応じて穏やかに腕で示す。 
「いいよ、行ってきて。別に用があって来たんじゃないから」 
「…うん」 
「また後で」 
「…また後で」 
ぞろぞろと教室から出てきた1年生たちが、不揃いにクラインとハインツに敬礼をしてから廊下を歩きだす。その流れに沿って、リガンドも2人に軽く手を振ってから、背を向けて歩き出した。 

「……クライン、」
「………わかってる」
リガンドに手を振り返し、その姿が見えなくなってから、クラインはその手でくしゃっと自身の前髪を掴んで、ハインツの呼びかけに応える。
「…早く教えてあげた方がよかった……そう言いたいんだろ?」 
「……続きは部屋で聞く」 
泣き言を口にしそうな気配に、ハインツが言葉でクラインの背を押す。 
たとえ今は候補生という身分であっても、将来「指揮官」となる者は、取り乱す姿を周囲に見せるのは望ましくない。 


「…なんか、ごめん」
「なんのこと?」
「リガンドはもしかしたら4年と会いたくないのかなって」
卒業式の会場となっている大講堂への廊下を歩きながら、リガンドは言葉に詰まった。 
「そんなことは…」 
隣を歩くクラスメイト……1回目の選別試験で出席番号がずっと近くなったザイムがリガンドの否定に首を振る。 
「何度も呼び出されてさ……でも、そういえば、噂が出てから呼び出し減ったよな」 
「……」 
「ハインツ・テーザーってすごいなって思った。友達なんだろ?リガンドは」 
「うん…」 
以前、指揮官付きの噂についてザイムに真相を尋ねられたとき、リガンドは噂を否定した。「噂は無いよりあった方がいい」とハインツに言われても、当事者が周囲に肯定するわけにはいかない。それに、否定したところで、消えないのが噂というものだ。 

指揮官付きではないと否定して、じゃあ、どういう関係?と聞かれ、バディであるクラインの友達で、クラインの希望で対等に関わるという約束になった…と、しどろもどろに説明を試みているうちに、「つまり、友達ってことか」とまとめられてしまったのだった。 
ハインツが自分をどう思っているかはよくわからないのだけど。 

「あの噂、わざと流れるようにしたんだろ。指揮官って上官だから、特に親近感とか抱くこと無いって思ってたけど、あの件でちょっと見方変わった」
「……うん」
楽しそうに話しかけてくるザイムに、リガンドは曖昧に相槌を打った。

「式が終わったみたい、卒業生が出てきた!」 
先頭を歩いていたクラスメイトが少し伸びをしてから振り返った。一瞬、立ち止まりかけたリガンドをザイムが促す。
「行こう」 

“ 卒業式に挨拶をしておいた方が、同じ小隊に配属されたときに印象がいい。”

そうは言っても、1年が3学年も上の最終学年と交流することなどはほとんどない。
あるにはあるが、それは士官学校特有の、上の学年が下の学年に対して「教育」や「訓練」と称する、ほとんど不必要な干渉に過ぎないものだった。
その中で、多少友好的な上下関係を作った者のみが、「挨拶」の意味を得られただろう。
何名かのクラスメイトが、その意味を享受しているのを横目に見ながら、自身も何名かの卒業生との挨拶をこなして、リガンドはクラスメイトよりも早くその場を離れた。 
必要のない恐れと緊張を押し殺して。 

教師棟にあるクラインの部屋へと向かう足取りが少し、早かったのかもしれない。 
ドアの前に着いて初めて、自分の息が僅かに上がっていることをリガンドは自覚した。 
ドアノックする前に息を整えた方がいい、そう思って一度上げかけた腕を降ろし、ドアから一歩離れようとする。 
「どうぞ」 
忘れていたわけではなかったけれど、クラインは「気配」の読み取り範囲が広い。 
部屋に入るのにドアノックは要らない、近づいてきた時点で「わかってるから」。 
そう何度か言われた。 
諦めて、一息だけついてドアノブを掴む。 
ゆっくりとドアを開けると、クラインとハインツが、待っていた。 

普段なら、ハインツがクラインに勉強を教えていたり、クラインが課題と悪戦苦闘する傍でハインツが本を読んでいたりしているところへ混ざるように入室するのだけど、今日に限って、リガンドは「2人が自分を待っていた」ように思えた。

卒業生に会いに行けば、あの3人に遭うこともありうる。 
そういう意味で、自分はクラスメイトの誘いにすぐに頷くことができなかったし、おそらく、クラインもハインツも、あの場でそれを見抜いていたのだろう。
二人の視線がまっすぐ自分に向けられているのを感じながら、リガンドは声を整えることに集中した。 

「…あ、の…三人には会わなかったよ。だから、大丈夫…だった」 
集中したのに声が掠れて、俯いて歯噛みする。 
もう大丈夫になったと思っていたのに……

俯いた視界に、クラインが近づいてきたのが見えて、顔を上げる。 
「会うわけがない」 
「……え」 
クラインは大仰に深呼吸をしてから、リガンドの両肩を両手でしっかり掴んだ。 
「あいつらは、もういないから。存在しないから」 
「……」 
強められた語気に、リガンドがゆっくり瞬きをしながらクラインの顔を見上げる。 

クラインは注意深くリガンドの様子を観察した。あまりに動揺するようであれば、話を無理矢理にでも誤魔化して中止するつもりでもいた……が。 

俺、次は何て言うつもりだったっけ? 

お気に入りの顔を間近に見て、その伏せた瞼の、まつ毛が長い…など考えたことで、クラインは用意しておいた説明文を忘れた。

「………」 
思い出せないまま、とりあえず新たに説明文を考え始めたクラインの視界の下半分で、リガンドの表情が不安げに揺れる。

「………ハインツから、クラインが3人をぶっとばした、って聞いたけど」 
「うん?」 
突然、話が過去に戻って、クラインは首をかしげる。その傾きに、作りかけの文章が消えていく。
リガンドが心配そうな顔でこちらを見上げてくる。 
「………まさか、」 
「………へ?」 
「………」 
3人の沈黙が数秒間重なった。

「違う!俺が殺したんじゃない!」 
クラインが慌てて弁明するのと、ハインツが耐えきれずに吹き出すのとは、ほぼ同時だった。 
ハインツが吹き出したことで、リガンドは自分が誤解しているとすぐ気付き、クラインの弁明に自身の弁明も続ける。 
「あ、ごめん、殺したって疑ったんじゃなくて、その、打ち所が悪かったとか、そういうのかと思ったんだけど……」 
「いや、うん、俺も覚えてないし、殺しかけたのは本当だけど……ちがう!そうじゃなくて!」 
ハインツがこちらに向けた背で笑いをこらえているのがクラインの肩越しに見えて、リガンドは一旦、口を閉ざして、クラインが落ちつくのを待った。 
「ああああ…う~、ハインツ!笑ってないで、もう、説明して!」 
「……いいのか?お前から話すって言ってたろう?」 
ハインツが噎せながら、クラインに問いかける。 
「いい!“これ”は!…あああ!」 
口を滑らせたことを叫んで誤魔化すクラインに代わって、ハインツが席を立つ。 

「端的に言おう」 
「…うん」 
リガンドが素直に頷くのを見て、ハインツは滞りなく話し始めた。 
「選別試験の不合格者は、世界に害を及ぼす存在として処理される。半ば強制的な自決だ。あの3人は最終試験で不合格となり、今はこの世界のどこにも存在しない」 
「……」 
ハインツの説明を聞きながら、自分の肩を掴むクラインの手に力が込められたのをリガンドは感じた。 
「この情報をリガンドにすぐ伝えなかったのは、リガンドに選別試験への余計なプレッシャーを与えるとクラインが懸念したからだ」 
ハインツがクラインへと視線を遣り、リガンドは視線をハインツからクラインへと戻す。 
俯いたクラインと視線は交わらなかった。 
「……知らない方が、いいと思った」 
抑えた声に、選別試験前夜のことをぼんやりと思い出す。
「…でも、俺は『大丈夫』なんでしょ?」
「…うん!それは大丈夫!リガンドは大丈夫だから!」 
問いかけに、クラインが跳ね上がるように顔を上げて視線がぶつかる。 
「大丈夫、だから……!」
それ以上に、言いようがないのだろう。言葉に詰まったクラインの視線がさまよい始める。 
特殊警備兵は、自分たちとは異なる判断能力を生来的に備えているということは授業で習った。生まれつき備わった能力を、その能力を持たない者に言葉で説明するのは思ったよりも難しい。

「I trust you.(信じるよ)」 

クラインの視線の揺れが止まった。その代わりに、彼に精神的な動揺を与えてしまうことを、リガンドはわかっていた。 
その言葉は、クラインが「嫌い」と言った彼の今の名前でもあったから。
学長が、どういう意図でこの言葉を彼に名前として与えたのかは知らない。でも、もしかしたら。

この言葉が一番、彼に合うと思ったから。 

「………うん」 

感情をかみ殺したような表情を少しだけ垣間見せて、クラインは頷いた。 

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