第34話 許可

「トラスト、」 

教師がその名でクラインを呼ぶと、クラインは途端に無愛想に、不機嫌になる。
呼びかけに、黙ったまま、面倒臭そうにゆっくりと時間をかけて半身だけ振り返る。
「カリキュラムを一部変更した、明日からの分だ」 
教師が差し出す用紙を、候補生であるクラインは教師と目を合わせることもなく黙って受取る。 

上下関係に厳しい士官学校で、候補生がそんな態度を教師にとることなどはあり得ないことだった。だけど、教師はそんなクラインの態度に、特に注意することもなく、傍らにいたリガンドが慌てて頭を下げたのを見て、軽く頷いただけで立ち去って行った。 

トラスト・クライン・ニールセン 

それがクラインのフルネームだ。部屋のネームプレートも、机に積まれた課題の一つひとつにも、そして、たった今、教師から手渡されたカリキュラムにも、その名前が印字されている。 
クラインは「トラスト」という名前を嫌っている。 
初めて会った日の翌日、学長が勝手につけた名前だと言っていた。リガンドはそれ以上のことを知らない。 
クライン自身に尋ねる機会がなかった、というより、教師がクラインをその名で呼ぶときの、クラインの頑なに拒む態度が、気軽に尋ねられる雰囲気ではなかったからだ。 


「それは本人に直接聞けばいい」
「…え?」 
いつもの喫茶室で、ハインツが少しのんびりした声で返してきた。 
ひとつ聞いていい?と前置きして、クラインのいないこの時間に尋ねてみての回答だった。 
「リガンドがそれを聞いて、クラインがどう答えるのかを知りたい。それに…」 
珍しく、ハインツが言葉を途中で止める。 
ハインツの話を遮るわけにはいかないからとリガンドは少し待った。1秒、2秒、3秒…… 
「それに…?」 
リガンドが5秒ほど待って、途絶える前の言葉を反復して続きを尋ねると、ハインツの目が一瞬笑った。年齢相応の、もしかしたらそれより幼く、悪戯っぽく。 
ゆっくりとティーカップを持ち上げ、紅茶を一口飲んでから、静かにカップを置く間もリガンドは静かに待った。 
「リガンドはもっと俺達に色々聞いていい」 
ハインツはいつも紅茶をストレートで飲むからまったく使わないスプーンを、指でつまんで器用に、だが少し行儀悪く回して弄んだ。


「部下である攻撃官が、『指揮官』に対して細事を問わないことは模範的で推奨される態度だ。だが、」 
カチン、と小さな音を立てて、ハインツは弄んだスプーンをソーサーに置く。 
「三人の間では、それは無しだ」 
「………でも、」 
ハインツが不意に席を立ち、去り際に、低く、指揮官の『声』を放つ。 

『聞けばいい。答える。そして、聞いた分だけ、お前は巻き込まれる』 

驚いて顔を見上げると、今度は目だけではなく口元も笑っていた。 
一人でさっさと歩きだしたハインツの背に、リガンドは思わず呟いた。 
「……そんな命令ってアリなの?」

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