第7話「好意」

不思議なことになった。

半分眠っているようなまどろみで、リガンドはぼんやりと思う。
自主練は、リガンドの左手首が復調するのを待って6日後から開始された。
ハインツが、クラインとリガンドのカリキュラムを見て、時間枠を決め、実技場の予約までして。
日によって、自主練の終わる時間が夜の10時過ぎになることもある。
そんなときは、寮棟に戻るのも面倒だろうからと、
教師棟のシャワー室を使って、自分の部屋に泊っていけばいいんだとクラインが言いだして……(この外泊?許可についても、一体どんな理由をつけたのか、ハインツが教師に許可をとりつけてくれた)

「なんで俺、クラインの抱き枕になってるんだろ……」

後ろからがっしりとクラインが抱きついた形で、リガンドは思わず声に出してつぶやいた。

眠りが深いのか、一度眠るとクラインは声をかけても起きたりしない。
そして、
「……ぐ、……無理」

寝付いてしまえば、そのうち腕をほどけるかと思ったが、びくともしない。
元より特警は体力や腕力の点で、攻撃官を遥かに上回る。クラインも例外ではなかった。
2、3度、離れようと試みたが、無駄だとわかっていつの間にか眠りに戻り、次に、明け方、誰かの気配に気付いて目を覚ました。

「!!!!!」
ハインツが静かにベッドサイドに立っていた。こちらを見下ろしている。
片手には、クラインのために用意したであろう教材を携えて。

「…!」
自分でもこの状況をどう説明するつもりなのかわからないまま、身を捩り、口を開きかけたところで、ハインツが自身の口に人差し指を充て無言を指示する。
いまだハインツは指揮官ではないし、リガンドも指揮官の部下…攻撃官ではないが、生まれながら組み込まれているかのように、リガンドは一瞬で指示に従う。
それを見て、ハインツは軽く頷いて、クラインの机の上に持ってきた書類を並べてから、静かに部屋を出ていった。
クラインが巻きついた状態で、リガンドは首と目だけを動かして、壁の時計を確認する。

「4時半。早…」

ハインツは、一体何時に寝て何時に起きてるんだろう…
クラインのカリキュラムの空き時間にクラインに勉強を教え、それ以外の時間でクライン専用の独自教材のようなものを用意しているようだが、神出鬼没すぎて、現れるタイミングがまったくわからない。

最初に会ったあの日、食堂で夕食を摂りながら、ハインツはクラインにしか話しかけなかったし、クラインが「敬語は無し」と言ったところで、学年が上、既に首席卒業が確定している指揮官候補生のハインツに、攻撃官候補生のリガンドから気安く話しかけることもできず……

その後も、クラインの部屋や食堂で一緒になることはあっても、リガンドから挨拶しても、ハインツはこちらを軽く目で見るだけで、会話をしたことは一度もなかった。

「でも、この状況、ちゃんと説明したほうがいいと思う……たぶん、寝相だ……って」

そう、多分、寝相……。

「あぁ、俺、誰かとくっついて寝るの好きなんだ」
「……ぁへ?」
朝食のパンをちぎりながら、かなり間抜けな声が出てしまった。
クラインがへらっと笑う。

教師用のベッドは寮棟の候補生のものより広いとはいえ、2人で寝たら狭いんじゃないかな…自分は構わないけど、クラインに迷惑じゃないかな、と切り出したところだった。

「セントラルでは、皆で大部屋で雑魚寝だったから。ここに来て一人部屋にぶち込まれて、寝ても寝た気がしなくてさ~だから、リガンドが構わないなら泊ってくれた方が、俺はいい」

寝相で偶然ああなったわけじゃないんだ…

どこかで、特警はかなりの気分屋だと聞いたことを思い出す。
「生まれながらの殺し屋」とも称される特殊警備兵たちは、体力、腕力、瞬発力が並外れて高いが、精神管理が甘くて、短気でムラが激しく、部隊として編成するにはあまりに適さない……と。
特殊警備兵の能力を備えながら、制御や指揮もこなす特殊前線指揮官は、どうなんだろう…

目の前でのんびりと(しているはずなのに)手早く食事を済ませるクラインを眺めた。

そのクラインがふっと振り返る。

特警には、優れた空間認識能力も備わっている。数十メートル離れた先の食堂の出入口から、ハインツが入ってきたのに気付いたクラインが軽く手を挙げて招き、間もなくハインツが合流する。

「あ、そうだ忘れてた。取ってくる」
ハインツに今朝のこと、どう話すか、話すとしてもタイミングってあんまりないな…とリガンドが思った直後だった。
クラインが音もなく席を立つ。

「別に後で…」
「食べてて」

ハインツに渡すものがあるのだろう、ハインツの言葉を遮り、クラインは食堂を出ていった。風のように。

そういえば、特警って、その黒い軍服と攻撃スピードから『黒い風』って言われたりもするんだっけ。『通り過ぎれば死が残る、黒い風』。

「……」
「…あの、」
思い出して、声をかけてみる。「敬語なし」はクラインがいるときだけかなと言葉を選び直す。

「今朝のことなんですが」
ハインツは視線を僅かに動かして、視界の端にリガンドを映す様に見た。
「…誤解されているような気がして」

でもどう言えばいいんだろう、クラインは誰でもいいからくっついて寝たいだけなんですって言うわけにはいかない…いくらなんでも、クラインに失礼な気がする。

「“敬語は無し”。クラインがそう言ってただろう」
ハインツが顔をこちらに向け、リガンドを正面に見る。じっと。

「……ハインツは、それでいいの?俺、攻撃官候補生だよ」
序列が乱れる。未来の指揮官と、部下である攻撃官が普通に話すなんて。

「クラインが敬語禁止を望むのなら。クラインがお前を実技訓練のバディとして選んで、同列に扱うなら、俺もお前を同列として扱う。そして、今朝のことは誤解も何も、どうでもいいことだ」
「…」
「クラインが誰を抱いて寝ようと、俺とクラインの関係に何ら影響はない」

さらっと色々なことを言われた気がする。

「ただいま!はい、これ、一応がんばった!」
クラインが戻ってきて、ハインツにノートを渡した。
「ん」
「でも、なんか途中で色々わからなかったから、わからないって書いてる!」
「…できれば、どこがどうわからないか、どこまでわかってるかも書いて欲しいんだが」
「どうって、わからないものはどうもこうもないんじゃ?」
「………わかった、善処しよう」

2人のやりとりを眺めて、リガンドは朝食を食べ終え、小さく手を合わせた。
ハインツがクラインのことを好きだということだけ、わかった。

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