ハインツに廊下で声をかけられ「3人の名前」を聞かれた日と同じように、リガンドの方が授業が早く終わった日だった。
今日も喫茶室で、注目を浴びながらリガンドはカップを持つ。
クラインが3年の実技訓練に参加して、自分たちと合流するまでの20分程の時間。
先日と同じように廊下で声をかけられ、また何か自分に用事があるのかと思ったが、思い当たることもなく、ハインツも黙ったままで何も話さない。
あの日以来、自分を取り巻く空気が少しだけ変わった。
上級生に呼び出される頻度が明らかに下がった。
授業が終わって間もない、多くの候補生がいる廊下で、あのハインツが一人の候補生に声をかけた。
サイマスきっての天才。
入学当初は、当時のクラスメイトが少しは会話したらしいが、ハインツが数か月もしないうちに教師と対等に話すようになり、上級生であってもたやすく声をかけられなくなったと聞いたことがある。
そのハインツが、1学年下の攻撃官候補生に声をかけて喫茶室に入った。
それだけで、授業と訓練の毎日でさしたる娯楽のない士官学校では十分すぎるゴシップだった。
今も、露骨ではないが、喫茶室内の候補生たちがこちらを気にしているのはよくわかる。
でも本当に、今日は何の用なんだろ……
この間は、クラインに知られないように喫茶室を使ったのだろうけど、
クラインを待つだけなら、教師棟のクラインの部屋でもできる。
こんな人目のある喫茶室で、ただひたすら無言で向かい合って座っている必要なんて…
もしかして…
「ハインツ、」
カップを置き、思い切って呼びかけた。ハインツがこちらを見る。
見るといっても視線だけほんの僅かにこちらに向けるだけの。
ハインツの表情が変わるのをリガンドはほとんど見たことがなかった。
言葉を続ける。
「俺が一人の時にあいつらと接触しないように、迎えに来てくれて……わざと目立つようにしてくれて…」
たぶん、そういうことなのだろうと。
「ありがとう」
一瞬、ハインツの眉間に皺が寄った。顔の向きは変わらないが、目だけ思い切り横を向く。窓の外を睨むような目で、いつもより低い…押し殺した声で
「………そこまで気付くとは思っていなかった」
あ……、と声に出さずに、心で漏らす。
思わず動揺して再び両手でカップを持ってそこに視線を落とした。
自分の表情が揺れないように努める。
お礼を言ったらハインツが照れるなんて、リガンドも、思っていなかった。