第23話「噂」

教室移動で、クラスメイトと一緒に廊下を歩いていると、行く先にあの3人がいた。壁際で何か話しながら、こちらに気付いて会話を止める。
先輩の傍を通り過ぎるのだから、後輩は一度立ち止まり、敬礼をする。士官学校では当たり前の規則だ。 

何も知らないクラスメイトと共に、リガンドは立ち止まり、3人に敬礼をする。 他の候補生たちがいる場所で、この3人は何もしてこない筈だ、大丈夫。教科書を持った手が震えないように、自分に言い聞かせて。
3人が手を抜いた返礼をしたのを見てから敬礼を解き、場を離れる……その背にぶつけるように言葉が放たれた。 

「入学1年目で『指揮官付き』になるとは大したもんだよな」
「単位を取るのが早い指揮官は『指揮官付き』を取るのも早かったわけだ」  

隣を歩くクラスメイトが「え…」と言葉をもらす。思わず俯いた。
敬礼はきちんとこなした、後は立ち去るだけだ。
黙ったまま、次の教室へと歩き出す。 

クラスメイトが「指揮官付き」というものを知っているのかどうかはわからない、でも遠からず知ることになる。
娯楽の少ない士官学校で、ゴシップやそれに類する噂話は恐ろしく早く、広まる。  

あの日、人目の多い廊下でハインツが自分を呼びとめて、喫茶室へと誘った。
一度だけじゃない、それから何度も。
同じ指揮官コースの上級生ですらハインツに気軽に話しかけられないのに、部下となる攻撃官コースの下級生が、敬礼も敬語もなしにハインツと話していれば、噂話として広まるのは当然だ。  

だけど、喫茶室で話していただけじゃないか。 

指揮官付きだなんて。 


「リガンド、……リガンド!」 

少し慌てた様子で駆け寄ってきたクラスメイトに肩を叩かれる。
いつの間にか……クラインの『訓練』の成果か、身体に触れられることに過剰に反応することは収まっていた。
「え、なに?」 

今は自習時間帯だ。
候補生たちは、寮棟の自室に戻ったり、図書室内の自習室に向かったり、そのままその教室にいたりして、自習をする。
リガンドは自室に戻らずに、人目の多い教室で教科書を開いたままずっと俯いて、そして考えても仕方のないことを考えていた。
顔を上げると、クラスメイトは口をぱくぱくさせて手元のジェスチャーで何かを伝えようとするけど、よくわからない。
とりあえず、呼び出しの類だろうと考えて、クラスメイトの肩越しにドアの方向を見て、その慌てぶりを理解した。  

ハインツだ。 

このタイミングで。 

急いで教科書を閉じてドアへ向かう。
「どうしたの?何か…」
「用事がある。今は自習時間だろう」
用事でも?と聞く前にハインツが口を開き、ごく軽く、リガンドを招くように手を振り、さっと背を向けて歩き出す。ついてこい、そういう意味だろう。
でも、今は課業時間内だ。自習枠とはいえ、別コースの候補生と出歩くのは……
他の候補生からの視線が、喫茶室で受けた比ではない。 

遅れないようにハインツの後ろを、半分俯いて、ついていく。
廊下の色が変わった、ここから先は… 

「待って、ハインツ、どこ行くの?」 

歩を少し早めてハインツの隣に並び、抑えた声で尋ねる。
ここは寮棟だ、しかも東側……『指揮官コース候補生寮棟』。 

「部屋」 

前を向いて歩いたまま、ごく短い、そっけない返事だ。それだけで十分わかるだろうと言った感じの。むしろ、言わなくても分かると思ってた風な。
理由はちゃんとあるんだろう、でも、あんな噂のある状態で寮の個室に入るわけには……  

すべての単位を取得したとはいえ、ハインツはまだ「第2学年」で、
番号札と小さなネームプレート以外に見分けのつかない一室の前でハインツは立ち止まり、ドアを開け放って中へと入る。
「入れ」と言われてはいないが、開けっ放しのドアに、促されてリガンドも中へと入った。
廊下にいる他の指揮官候補生たちが、普段見慣れない別コースの候補生を、しかもハインツの部屋に入るのを、見ている状況で。 

ドアを静かに閉めて、室内を控えめに見渡す。ハインツが机に向かって何か手に取っている。
攻撃官コースの候補生の部屋と、内装はさほども変わらない。広さはベッド1つ分くらい広いかな。 

本だらけかと思っていたけど、意外なほどスッキリしてる… 

「自習時間に自習するだけだ、何らの問題は無いだろう」 

振り返ったハインツが、リガンドに冊子類を渡す。
「え?」 

表紙のタイトルは、『作戦行動とその指示・略記』。リガンドは攻撃官コースのカリキュラムを思い出す。
「これ、第2学年で履修する…」
「クラインは今それを履修してるんだ」
「へぇ」
そういえば、クラインは、指揮官・制御官・攻撃官すべての座学を履修しなきゃいけないんだ、大変だな… 

「先週からクラインに教えているんだが、進みが遅い。教え方を何度か改良したが駄目だった。すぐに集中力が切れて、無駄話をしたがる」
もしかして、昨晩ほったらかしにしてた課題ってそれかな…… 

「だったら、リガンドも参加させて喋らせて覚えさせようと思ってな。今晩から始めるからそれまでに付箋のページまで目を通しておくように」
「え?!」 

顔を上げて、ハインツの顔を見る。
「別に問題は無いだろう、リガンドにとっては予習になる」
「あぁ……うん、それは問題ないんだけど…」
これを説明するために、部屋に呼んだのなら、それなら納得する…けど。 

「けど?」
「あ……」 

余計なことを言ってしまった、と後悔する。ハインツが軽く顎を上げてから視線を斜めに下げ、リガンドは意図を汲んで、おずおずと傍らのベッドに腰を下ろす。
ハインツは、机の椅子を軽く引き摺ってきて、ベッドに腰掛けたリガンドの真正面に置き、そこに座り、腕を組む。  

「……問題ないよ」
「何が問題なんだ」 

「けど、」を無かったことにしたかったけれど、認めてはもらえなかった。
でも、どう言えばいいのかわからない。だからといって、このままでいいわけもない。 

「何でも話す約束だ」
先日の、喫茶室での会話を思い出す。あれで約束、……した、ことになるのかな。 

「………噂になってるから。その、……ハインツは『指揮官付き』って知ってる?」 
一瞬、ハインツの目つきが鋭くなり、言葉に迷う。
「あの…」
「知っている。形式としては、指揮官補佐だ。小隊内の攻撃官より1名から数名選ばれる。正式な職名ではなく、慣習上のもので、その実質は指揮官の愛人役であることが多い。稀に、頭脳役(ブレーン)として配置されていることもあるようだが」
まるで教科書のような説明をすらすらと答えられて、思わず瞬きをする。 

「そ、そうなんだ……そこまでは知らなかった」
「恋愛沙汰は小隊内トラブルの一類型だ。資料室の報告書を読めば大抵のことはわかる」
「へ、へぇ……」
「それで?噂がどうした?」
「……その、俺が、ハインツの指揮官付きだって、……今日、あの3人が廊下で話してて…こういう噂って、広まるの早いし、タチが悪いし」
「ふぅん」 

つまらなさそうな顔と声で相槌を打たれる。
「それで、何が問題なんだ」 

腕組みしたまま、真正面から質問は続く。
「えっ、あの、だから、こうやって俺がハインツの部屋に入ったの、まずかったな…って」
「……」
「入る前に言うべきだったけど」
「……」
「あの、ごめん」  

言うことがなくなった。ハインツの表情は動かない。読み取れない。指揮官って皆こうなんだろうか。ハインツはまだ候補生だけど。 

「リガンドが言いたいことは大体わかった。その問題は大した問題じゃない。謝る必要もない。確かに指揮官付きと言われるのは俺も予想してなかったが、噂になるような行動は敢えてやったことだ。噂にもメリットデメリットがある。今回のケースでは、噂が無い状態より、あった方がトータルでの害は少ない」  

表情を動かさないまま、淡々と答えられる。
どう返していいのかわからず、ハインツの目を見た。 

軽く視線を外され、ハインツが少し眉を寄せて椅子から立ち上がる。 

「つまり、その問題は……お前の言う通り“問題ない”ということだ」

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