── ここまでうまくいくとは思わなかった。
人の考えや行動は、そうそう容易にコントロールできるものではない。 教科書通りに物事が進まないことくらい、その少年は教科書を開く前から理解していた。
── だが、
自分以外誰もいない部屋で、ハインツは時間を限って自分に許し、少しだけ表情を緩める。
── 実にうまくいった。
クラインに勉強を教え始め、ハインツはすぐにクラインのストレスの蓄積に気付いた。最初は教科書通りに、何気ない雑談での聞き取りを開始した。
クラインはセントラル訓練校では様々な学年の訓練兵と始終共に過ごし、その中で、年上には甘え、年下には先輩として教育係をこなし、同期とはふざけながらも競い合うという柔軟な人格を形成してきた。
そこに一転して、サイマス士官学校への編入。
コース単位で区切られたサイマスは、コース間の交流はなく、上の学年が下の学年にある種の干渉をする以外は、上下の交流もあまりない。セントラルと比べれば人間関係は希薄に感じられただろう。
更には、過大な期待からくるプレッシャーと、自信の喪失。
自分が初めて話しかけたときは、多少の余裕を演出したようだが、不満が爆発する寸前で踏み留まっているような危うさが既にあった。
ハインツがいくつかの策を講じる前に、クラインがリガンドを拾ってきたことで、事態はある程度改善された。
年下のリガンドを保護し、自主訓練を共にすることで、セントラルで先輩役を務めていたときの自分と、同期と競い合っていた自分を、クラインは取り戻したわけだ。
そして、それでもまだ足りない分を、ハインツはリガンドを焚きつけることで補強した。
つまりはほとんどの役割をリガンドに集約させたことになる。
これでひとまずの不安はすべて解消された、が。
次に浮上したのは……
一点集中が孕むリスク。
自分がリガンドとクラインを焚きつけたことで、二人の関係はより密着するものとなった。
対等に亙り合える信頼できる相棒であり、自分を適度に甘やかしもする……
間違いなくリガンドは、クラインにとって最高の補強材…「支え」となる。
これは同時に、リガンドが失われた場合のケアが難しくなるということだ。
だから、少しでも分散させるように、あのとき会話を誘導した。
思ったよりもクラインが奔放に青春を謳歌する結果となったが、問題は無い。
まだクラインに関して解決すべき問題点はあるが、解決の見通しは立っている。
──本当に、うまく事が進んでいる。
目を閉じ、数秒、瞼に力を込めてから、ゆっくりと目を開く。
自分に許した時間の終わりを告げ、ハインツはいつものように表情を引き締めた。
机に置かれた紙束……いつも、クラインの勉強指導の合間に読んでいる……を手に取る。
「こちらは、そうはうまく進まないな」
僅かに表情を歪め、ハインツはいつもの教師棟資料室へと向かった。