第42話 課題

天井まで届く棚には、定期的に前線から届く報告書が壁の内側にもう一つの壁を作るかのように並べられていた。 
空調は行き届いているが、窓は無く、ドアは一つ。 
士官学校の教員のみが立ち入ることのできる資料室。 

そこに彼は居た。 

士官学校に入学して間もなく、彼はその才覚を見出され、特例に特例を重ね、第1学年にして最終学年の講義にも出席、第2学年の夏には全科目最高得点で履修を完了した。

“士官学校史上最高の天才 ハインツ・テーザー” 

卒業までに必要な知識、技能を習得し終えた彼を、期待の即戦力としてすぐさま前線へ送り出すことは可能ではあった。 
前線では優秀な指揮官が不足しつつある。 
だが、サイマスの最終判断は「卒業は本人の身体の成熟を待つ」だった。 
そして、士官学校で候補生に与えられる課題の全てを解き終えてしまったハインツに、サイマスが与えたのは、 

数多くの 

戦場が抱える 

未解決の難題たち───。 

長考してから、ハインツはレポート用紙にペンを素早く走らせる。
片手で卓上のシミュレーションボードを操作しながら、複数の可変式の案で解決を狙う……が、過去、多くの指揮官たちがそうせざるを得なくなったように、事態は途中で停滞、敵への攻撃を中止、静観……「現状維持」となる。

戦力には限りがある。
そして、戦力によるダメージから世界が回復する時間とエネルギーもまた。
何かをリセットするように、ハインツはレポート用紙をペンで軽く突く。
自分以外は誰も無い部屋で、響くほどでもない僅かな音に耳を澄ます。 
それから、ペンを手放して、軍の各エリアの配備数、年間の「抗戦」件数とそれぞれの規模を見直す。「未解決」はあらゆる箇所に、規模も様々に存在する。 

そう遠くない未来に軍はその機能を喪失し、それまでは消耗の一途をたどる。多くの「未解決」はそれを知っていて、そのときまで沈黙を保っているのか。
何か一つを動かせば、何処かが手薄になる。一つの「調整」が、静かに、読めない早さと位置に不調和を産み出す。
判断を少しでも誤れば、防衛戦線に穴が開き、瞬く間に暗く広がって世界を死に陥れる───。
・ 
・ 

「寝てる?」
 柔らかく空気が揺れ、自分の眉間に指先が触れる。 
クラインだ。


「寝てはいない」 
組んでいた腕をほどき、目を開く。ソファの上から覗き込むクラインを見上げる。 いつものように資料室でしばらく過ごしてから、クラインの部屋に移動していた。 
周囲の動きを事前に察知できないほど集中していい場所は2箇所と決めている。教師棟にある資料室と、この部屋。
天井の照明にクラインの金の髪が透けるように光る。目が合うと、クラインが柔らかに笑顔を見せた。 
「……考え事をしていた」 
「だから難しそうな顔してたんだ、これ?」 
ソファーから起き上がろうとしたハインツの膝の上に置かれた書類をクラインが手に取る。 
教師専用資料室の……しかも禁帯出のものだが、ハインツはクラインの自由に任せる。 
「………これって、敵を倒せないから閉じ込めてるってこと?」 
資料をめくりながら、クラインが自分のすぐ隣に腰を下ろす。 
「そうだ」 
「こんなにたくさん?本当に倒せない?」 
「軍にそれだけの余力が無い」 
「ん~~~」 
唸りながらクラインが隣で資料のページをめくるのを眺める。 
「ね、これ位のなら、俺一人で殲滅できるんじゃない?」 
示してきた箇所を、覗き込まなくても充分に見えているのに少し顔を寄せて見る。 
「……お前一人が消耗するだけでも軍にとっては痛手になるんだ。それに、報告書にある数値は表面からの推測だ。奥で増殖していれば、お前が二人は必要になる」
「じゃ、リガンド連れて行くよ。それで解決」 
随分と誇らしげに胸を張る。リガンドと自主訓練を始めてまだ1年も経ってはいないが、最初に宣言した通り『リガンドは自分と同じくらい強くなる』ことに最近、確信を強めているらしい。 
「一箇所はな」 
「でも、『現状維持』で壁がいつ崩落するかわからないんだったら、まだ余力のあるときに仕留めてしまった方がよくない?これから先は……悪くなっていくばっかりなんだし」 
クラインの素朴な疑問に、ハインツは慎重に言葉を選び、努めて穏やかにゆっくりと応える。追い詰めないように。
「仮に、クラインが一つのエリアを守る小隊の指揮官だとして。攻撃官の数に余裕が無く、いつどんな敵が侵入して抗戦状態になるか分からない状況で、攻撃官を消耗してまで幽閉されている敵を殲滅しようと思うか?」 
「それは………」 
「どの指揮官も、自分の小隊の攻撃官を消耗させたくない」 
「………」 
容易に沈黙してしまったクラインに、ハインツは笑いかける。 

「難しいだろう?これが、俺に出された課題なんだ」 

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