第65話 回顧

あの日々は、幸福だったのかもしれない。

トラストは一人、長い髪をなびかせ天を仰いで目を閉じる。
同時に、片腕を水平に伸ばして気配を読み取り始める。

自分が士官学校に入学し、卒業するまでの5年間。
士官学校は設備、教員共に活気にあふれ、有望な士官候補生を数多く輩出していた。
士官学校の核ともいえる存在、学長サイマスも壮年期を迎え、鋭気に満ちていた。
「すべて過去形か。でもまだ、世界は終わっちゃいないのに。早すぎるだろう……サイマス」
読み取った気配に向けて、スラリと剣を抜く。

先だって、トラストは士官学校を訪れた。
卒業してから年月を経るうちに、少しずつ士官学校からの士官輩出数と質が落ちていることにトラストも気付いてはいた。
ある日、在学中に親しくしていた教師からの手紙を新卒の士官から手渡され、士官学校の終焉と学長の急激な老化を知らされた。そして、「君に良く似た候補生がきたよ。彼はおそらく士官学校最後の希望となるだろう」とも。
すぐに駆け付けたところで、そこに自分ができることは何もない。
だから、トラストはその手紙を読んだ後、すぐに士官学校を訪れようとしなかったし、いつも通りに「自分のできること、すべきこと」を為し続けた。
そして、少しだけ足を延ばせば立ち寄れるほど近くを通るときまで、士官学校のことを考えないでいた。

随分と陰った母校を眺めてから、不合格者が始末される裏門を避けて、トラストは少し朽ち始めた東門から入り、誰もいなくなった教師棟の最上階にある学長室へと向かった。
彼女もまた、「死」の気配には敏感で、崩れかけた階段を静かに昇りながら、数十秒後に自分が目の当たりにする事実を悟った。
「……サイマス」
学長室の扉を開け、その部屋の主の名を呼んだ。

士官学校始まって以来の最高の特司候補生だと日常的に称えられていたトラストは、教師だけでなく学長サイマスに対してさえも敬称をつけることなく対話していた。
大きな期待とそれに応えうる自身の才能に満たされていた日々だった。

だが、それらはもう、過去であり、これが現在である。

全盛期の姿は見る影もない。
死につつある、ほとんどすべての機能を喪失しつつある……彼はもう、呼びかけに応じることはない。

トラストは、静かに過去へと敬礼をした。


誰に聞かせるでもなく、声を過ぎ去る風に与えて走り出す。
「確かに。どの機関よりも贅沢で、資源を大量に無駄にする場所だったさ。100人の候補生のうち1人2人しか卒業させずに殺してしまうんだから」

読み取った気配は「同胞の欠片」。
生臭く言えば、血や肉片、吐しゃ物など、健常な同胞であれば出さない欠片の気配だ。
「世界の終焉に先駆けて、いの一番に店じまいするのはわかるけどね……」
目の前に現れた排除対象……健常でない同胞……に、剣の切っ先共々大きな独り言を叩きつける。
「まったく、この世界はどんどん綻んでいく」

士官学校最盛期に排出された士官たちはまだ第一線で活躍している。
まだ終わっちゃいない。
だが、後進が続かなければ、疲弊の果ての終わりが待っている。

「本当に……期待しているんだよ、坊や」

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