第70話 下剋上

リガンド・グランという攻撃官は、特級の美形だ。

士官学校の同期、同コースの者なら当然その名と顔を知っているし、他の学年であっても彼を知る者は多い。
単に士官学校に娯楽がないということの裏返しでもあるが、それは戦地でも大差なかった。
士官学校を卒業後に第二防衛小隊に配属された後は、周辺の小隊だけでなく、周辺の第一防衛にもその存在を知られることとなった。

他方、トラスト・クライン・ニールセンは、顔はいたって平凡で、彼がある程度士官学校卒にその存在を知られているのは、士官学校でも数少ない特殊前線指揮官候補生であり、ずば抜けた実技の才能を保持していたからだった。
戦地でも特殊前線指揮官……第一防衛と第二防衛の調整と総力戦誘導の能力をもつ特司の数は少ない。
加えて、一人の特司が担当するエリアは広いため、現場としては「特司がいるのかいないのかわからない」というのが正直な感想だろう。

だが、ニールセンは違った。
どうにも節操なく第一防衛、第二防衛を問わずナンパを繰り返していて、その存在は広く知られ始めている。

特級の美形攻撃官を指揮官付にしておきながら、遊びまわっている特司がいる……と。

「ん、御苦労。そこの棚に分類して片づけてくれ」
「はい」
あの日、ニールセンは未明に敵襲来のアラートを受信して小隊を離脱した。
リガンドに逢えず仕舞だったからか、僅か数日後に再来していたらしいが、こちらの気まずさに配慮してくれたのか、そのときはニールセンと顔を合わすことはなかった。

「………」

手元の資料を少し傾けて、指揮官室に資料を届けに来た部下を資料越しに眺める。

ニールセンのナンパ癖は、士官学校時代からだ。
恋人が頻繁に他の者とも遊んだりすれば、普通は妬いたりするだろうが……リガンドからはそういった態度は窺えない。よほど自分に自信があるのかなんなのか。

だから、仮に知られたところで、問題にはならない……

と、割り切ることもできない。
リガンドを前にするとどうにも居心地が悪いというか、ばつが悪いというか。

「終わりました」
「ん、御苦労」
下がっていい、と片手で伝えようとしたタイミングは、リガンドの一言で打ち破られた。

「クラインから聞きました」

何を。

「全部」

聞き返す言葉は頭で留まったまま、求める回答が告げられる。
恐る恐る、書類から目の前の部下へと視線を移す。
部下はいつも通りの綺麗な顔を、少しばかりの呆れたような表情で飾って立っている。
「……全部?」
「はい」

だから、何を、……いや。

「意見具申をしておきます。先日の『夜』のことは、絶対にハインツには知られないように気を付けた方がいいです」
天災……いや、天才の名前が再登場して背筋が伸びる。あの天才はニールセンがお気に入りなのだ。
「……どういうことだ?」
情報収集のために、自分は何度も小隊内でのニールセンとリガンドの逢瀬すら盗聴してきた。
先日は別件でその機会を逃したのだが、まさか。
ニールセンはリガンドに他の相手との情事すら開けっ広げに話す。
こちらが冷や冷やするほどに。
それを考慮すれば、先日の『夜』のことをリガンドに話さない理由は……ない。

だが、まだ、とぼけてゴマかす余地はある……かも…しれない。

そう考えて、ゆっくりと机上に両肘をつき、両の手の指を交差させて余裕を演出しようとするが、自分の表情から動揺を排することができない。部下の視線が痛い。

「ハインツはクラインにベタ惚れなので。クラインが誰を抱こうとまったく気にしないんですけど、その逆はダメです。どういう仕返しがくるかは俺にも見当つきません」
「………」
部下は直球な物言いで追撃をしてきた。
あぁ、とうなだれる。
「……どうしたらいいんだ?」
繕いきれず、諦め脱力して頭を垂れる。
部下の前で出したことのない情けない声で尋ね、部下を見上げた。
「知りません」

心なしか、目の前の部下はふんぞり返って見えた。

 

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